PHIMEANAKAS
7月8日
今年はウィンブルドンを見ないまま終わってしまいました。
ウィリアムス姉妹、シングルスの優勝と二位。 すごいざます。 あの体もスゴイざます。 ちょっと、コワイ。
またも友人の訃報に接しました。 去年の暮れにあったばかり。 一人はアフリカ、一人は日本です。 ちょっと早すぎ。 そういう話を耳にする度、自分も気をつけなければ、と思います。
人智を超えたものっていうのはありますから、気をつけるったって限界はありますけどね。 飛行機事故とか、自分ではどうしようもないじゃありませんか。
やはり日々身辺をある程度整理しておくべきでしょうね。 「ああっ、たんすのあの隅にXXが・・・」とか死ぬ間際に思って成仏できない(私は仏教徒でないので、”成仏”自体しないかもしれないけど)のはちょっと、ねえ。
読んだ話に、(江戸時代ね) 毎日毎日死んだ女房が井戸の端にたたずむ。 「おまえはもう死んだのだから、いつまでもこんなところにいてはいけない」といっても聞こえる風でもなく、毎日たたずむ。 念仏も効果はない。 井戸に何かがあるのかと思ってある日人を頼んでさらえたら、こんにゃくが一枚出てきた。 それからふっつり女房の姿は消えた。 人はこんにゃく一枚のようなつまらないものにも囚われてしまうのかとなんだかおかしかった。
というのがあるのですが、
こんにゃくでっせ。
つい手元が狂って井戸に取り落としてしまったこんにゃくが原因で成仏出来ないって。
もう一つ
死ぬ間際まで極楽往生を願って一心に念仏を唱えていた親父が、「ああ、俺が死んだらあの棚の上の酒はどうなるのだろう」とふと思ったのが、死んでその酒つぼに憑いてしまった。
というのもあります。(これらの話は杉浦日向子氏の「百物語」から)
日ごろ心の準備をしていてさえ、ふと思った執着で成仏できない。 ひー。
駄目かも。あたしゃ。
その瞬間に、あのキムチ鍋は美味しかった、もう一度、とか、あのワインまだ飲んでない、とか、せっかく注文した指輪、まだはめてないのに、とか、買ったばかりのPCが、とか、あのゲームまだ完勝してないのに、とか、ちくしょう円安になるならドル買うんじゃなかった、とか、もー執着ありすぎ。 ありすぎてどれにも憑けないかも。 それならそれでいいのですが。
まあ今のところ、実は冗談半分みたいにしてこんな話をしている訳ですが、いつかそのうち絶対死ぬのよねえ。 なんか、不思議ー。
ぺシャワール会ものぞいてみてください。アフガニスタン難民を助けています。月に2000円で、お腹が一杯になるんです。
カンボジアにいる私がなぜペシャワール会? カンボジア関連のNGOは? と思う方がいらっしゃるかもしれませんが。 個人的には、もうカンボジア向けのODAなんか止めてまえ! と思ってるので。 援助慣れしすぎ、カンボジア。 日本の税金が何億円と流れ込んで、確かに多少道路がよくなったりはしてるんでしょうが、その大部分が高級車や大邸宅やダイヤに化けてるような気がする。 援助するってお金を渡すのはいいんですが、もっときっちり監査なり条件なりつけないと駄目じゃないですか?
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