PHIMEANAKAS

日記の帯。わたくしが描いたの。Phimeanakasって,アンコール遺跡の一つです。天上の宮殿と謂う。


2003年8月26日

マケドニアに来ましたわよー。

第一印象。 おお、共産圏の匂い! でも南だ。

飛行機から見てたら、結構平らで茶色な部分があって、「カンボジアか?」と思わせる風景だったのですが、首都スコピエ(Skopje)に近づくにつれ山というか、丘陵が増えました。 着陸してみると、なんだかこの前行ったキプロス島みたい。 ギリシャか、ここは? 

国境を越えればギリシャなんだから、似てて当たり前です。 スコピエからテッサロニキまで陸路で200km余。 目と鼻の先。

ドイツが暑かったのは異常気象ですが、マケドニアは普通に暑い。 日中は35度程度。 大陸性の気候で乾燥しているので、日陰に居るか、家の中にこもって窓を締め切ってしまえば、かなりしのぎやすいです。 

人口200万人の国だし、首都は70万人程度だってんで、街の規模はヴィリニュスと同じくらい? と予想しておりましたが、これがなかなか。 結構、大きい。 でっかいビルもそこそこ建ってる。 街は東西に長細く、15kmx10kmほどの大きさです。 とはいえ、ビジネスや官公庁が集まるのは、その中でも4km四方か。

リトアニア時代みたいに、街の真ん中に住んでれば歩いて用事が足せるかも? と期待してたんですが、そうもいかないようで。 残念。

しかし、リトアニアって、ソ連内ではもっとも進んだ国だったんですけどね。 ユーゴスラビアの方がもっと進んでいたのか。 (マケドニアは旧ユーゴスラビアです。 今は分解して、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロバキア、スロバニア、クロアチアなんかに分かれてます)

リトアニアの話なんかすると、微妙に「一緒にしないで」って雰囲気感じるもんなあ。

あ、人はみんな結構親切かも。 フレンドリー。 英語を話す人も多い(助かるざんす!)。 治安もよろしいらしく、夜中の1時に公園歩いても大丈夫だって。 ま、そうは言われても女一人で夜の公園を歩きはしませんがね。 

今借りてる家のドアも、簡単な鍵が一個ついてるだけ。 いいのか、これで?! と不安になるシンプルさ。 銃付きガードマンまでいたプノンペン時代は何だったの? です。 マフィアも居ることは居るらしいけど、一般市民の家に泥棒に入るようなせこいビジネスはしていないようで。 車もアラーム無しで結構路上駐車してるしね。 ううむ。

平和すぎて、なんかヘンだ。

マケドニアは、かのアレクサンダー大王の国ですからね。 歴史は古いんざんすよ。 人も思いっきり混血してます。 ロシア臭いブロンドから、トルコ人的褐色まで、色々。 流石に東及び東南アジア顔は少ないけどね。 ので、リトアニアほどではないけど、時々「何者?」って感じで見られる。 でも敵意(!)は無し。 キュラソーあたりでは「中華め!」ってやな顔されたもんな。

で、水道の水も結構キレイ。 地元の人はみんな飲んでる。 ただ、カルク(石灰)が強いので、硬水に慣れていないとおなかをこわす、かも。 私的には、味がちょっと。 硬いんだもん。 ひどくまずくはないけど、やっぱ硬い。 しかしまあ、水道の水が飲めるだけエライもんです。

物価も日本より安い(当たり前か?)し、人当たりはいいし、英語もかなり通じるし、水はきれいだし、こりゃそこそこ住みやすいかも?と思うマケドニア居住1週間目でした。  まだ分からんがな。 油断大敵火事親父、桑原桑原。

ご飯も問題ない。 アジア飯が壊滅的に無い(中華レストランとインド料理屋はあるが、食材が売ってない。 今のとこ発見せず)のは痛いのですが、ギリシャ・トルコ風の料理って幸い抵抗ないからな。 フェタチーズのサラダとか、ケバブとか、お豆を煮たのとか、羊肉とか。 魚はレストランで食べるとケタが一つ違うのもちょっと残念ですが(そしてまだ食べてない)。 内陸だから仕方がないか。 あと1ヵ月もすれば「ショーユ食わせろ!」となるのでしょうが、今のとこは、へーき。 ラーメンさえ売ってないのは悲しいけどね・・・。 

マケドニアの通貨はディナールです。 1ディナールが約2円。 市場だと桃が1kg80円とか、トマトが1kg50円とか、嬉しい限りですが、スーパー(ギリシャ系の)に行くと何故か5000円、7000円がすぐ無くなってしまうのであります。 輸入モンは高い。 ま、生活のはじめっていつもお金がかかるのさ。 石鹸一つから全部買わないといけないしね。

プノンペンから出した荷物はまだ着かない。 どこだ? 船の上か? それとももうヨーロッパ大陸に上がったのか?

今日はこんなとこで、最初の報告、終わりー。




ぺシャワール会ものぞいてみてください。アフガニスタン難民を助けています。月に2000円で、お腹が一杯になるんです。

とはいえ、なんだか途上国への援助って、もうやめたら・・・と思い出しているわたくし。 カンボジアも、アフガニスタンも。 貧者を見殺しにするのか? という声もありますが、なんだか脱力しちゃいますがな、その「援助」がどこに流れていくかと見聞きすると。 実際に役に立つモノ(中古の衣料とか、文房具とか、地味な援助ね)は送っても政府が喜ばず、歓迎されるのはどうにでも途中でごまかせる援助金とか、大型プロジェクト、とかそんなんばっか。 

援助されて当然って顔するな! 自分で立て! 働け! ベンツなんか乗ってるな! ってよく思うんですけどね。




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